わた☆あめ 脳内読書会

読書ブログです。ヨーロッパより帰国しました(コロナのばか~!)

イタリア人が日本の道徳の教科書を読んだら:『みんなの道徳解体新書』

道徳が教科化されたのが2018年度、つい最近のことなのだとこの本を読んで初めて認識しました。
確かに長男が低学年の時は道徳は副読本しかなくて、いつのまにか配られる教科書の中に道徳が入っていて、それもベネッセの知育雑誌のような小奇麗な表紙。サブタイトル付き。最近の教科書は可愛らしいねえ。

 

日本人の大半は道徳の授業、真剣には捉えていませんよね。少なくとも私はそうです。また国がおかしなこと始めたなー。気まずい物からは目をそらす。

 

著者はなぜ今、道徳を教科化しなければならないのか疑問を抱きます。日本人の道徳心は薄れてきた? いや、むしろ向上しすぎてるんじゃない?
私も外国人が日本の道徳の話を読んだらどんな感想を持つのだろうと興味から読んでみました。 

 

疑問を解決するために読んでみた道徳の教科書から、著書お気に入りの話を紹介しているのですが、その内容がもう苦笑い。みなさん、想像はつくことと思います。
そんな「しょうもない話」ばかりの中、著者のお気に入りは教育出版の教科書。当たり障りのない無難な話を集めている他の教科書とは違い、エッジが効いていて、よくこれを教科書におさめたな、というような話がおさめられているそうです。読んでみたいけど、うちの子の教科書は光村図書でした。残念。

 

戦前は「修身」と呼ばれた道徳が、戦後、教科に復活したのは昭和33年頃。この頃の副読本は登場人物の言葉遣いも乱暴で、今ならきっと学校では眉をしかめられるような振る舞いも平気で取り上げられています。

 

きっと著者は「建前」というものがが面白くて仕方がないのでしょう。膠着した「建前」へのつっこみは生き生きしていて読みごたえがあります。思わず笑ってしまう。以下はその中でも真面目なもの。

 

日本の学校は、ともだちは多いければ多いほどすばらしいことだ、と教えたがりますが(中略)、よのなかで本当に必要とされているのは、ともだちを作る能力ではありません。ともだちでない人と話せる能力なんです。 

 

いまなぜ道徳なのか。それは著者が言うように「道徳教育の徹底を主張する人が何らかのズルをして利益を得ている」可能性が高そうです。
でも大半の人々は道徳の授業もスルーできるだろうし、きっと大丈夫でしょう。

 

 

 

『みんなの道徳解体新書』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

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