わた☆あめ 脳内読書会

読書ブログです。ヨーロッパより帰国しました(コロナのばか~!)

子どもの頃の夜をありがとう:『フジモトマサルの仕事』

フジモトマサルさんの訃報を耳にした時、あの『ダンスがすんだ』の人だなと思いだし、家の棚を探して見たけれど処分してしまったようでもうなかった。
この本は久しぶりに出かけた大きな本屋で見かけて、その時は買わずに帰ったのだけど、その後も表紙の印象が頭から離れずに購入。

 

なぜ彼の絵がこんなにも心をとらえたのかは、この本におさめられている糸井重里さんの文章にそのまま表現されている。子どもにとっての「行っちゃいけない夜」を思い出させる感じ。それをもう子供ではない自分に思い出させる。既視感というか、入れ子になった記憶の感覚というか。

 

フジモトマサルさんは二本足で立ちあがって生活している(擬人化された)生き物を主に描かれている。この本には「ピンク色の雲を突き抜けて打ち上げられたロケットをジャングルジムの上から眺めるヒツジ」や「海の彼方に光る稲妻を眺める初老のウサギ」、「海岸に降りる広いウッドデッキのような階段をソフトクリームを舐めながら降りるアライグマ」(江ノ島でこんな階段を降りたよ)といった、もう何とも言えないカラーの絵がおさめられている。私はヒツジでもウサギでもアライグマでもないのだし、ウッドデッキの階段以外は実際は見たこともないのだけど、どれもこんな光景をどこかで見たように思わせる。それは彼の絵がどれも「子どもの時の時間」を思い起こさせるからだと思う。光と影の表現もとても素晴らしく自分の記憶の底に降りていく感じを抱く。

 

子どもが生まれたばかりの時に読んだシュタイナー教育の本で「小さい子供にとってはリアルなものよりも抽象化されたものの方が理解しやすい」というようなことを読んで、なぜ子供がリアルな人形よりも大胆にデフォルメされた人形を好むのか、写真を使った精密な絵本より美しく省略された絵本を好むのか、腑に落ちた気がする。

 

これは茂木健一郎さんが講談社のWebに書いていらした「AIの認識の仕方が『狭く・深い』ことに対して、人が根本的には曖昧な認識の仕方をすること」になんだか上手くつながった気がして、忘れないように書評にしてみました。

 

夜の魔術師・フジモトマサルさんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

フジモトマサルの仕事 (コロナ・ブックス)

フジモトマサルの仕事 (コロナ・ブックス)

  • 発売日: 2020/04/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2045年、人工知能の「シンギュラリティ」で人類は滅びるか?(茂木 健一郎) | 現代新書 | 講談社(1/5)

 

『フジモトマサルの仕事』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

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