わた☆あめ 脳内読書会

読書ブログです。ヨーロッパより帰国しました(コロナのばか~!)

チマチョゴリを着た虎は片膝を立てて美しく座る:『百年佳約』

主人公の百婆は渡来人。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮から連れてこられた陶工たちの一人で、大きな窯元の女主人だ。

 

前作の『龍秘御天歌』では龍窯の主人・十兵衛の葬式を巡って、朝鮮式の葬式で送り出したい妻の百婆と日本社会での足場をさらに固めるため日本式の葬式を出したい息子の十蔵の駆け引きが描かれた。
朝鮮の家庭では子供にとって親は絶対の存在なので母親の意向に背くことなど本来は許されないのだが、窯を継いだ十蔵はこれからの将来のことを考えなければならず、虎のように恐ろしい母親に一歩も引くことはない。なんせ朝鮮の父と母は「憤死」「卒倒」という「脅しの手」があり、ここぞという時に額に青筋を立て息子を震え上がらせたり、宴席の準備の最中で差配の中心である女主人が卒倒のそぶりを見せて娘や使用人を自分の思うように動かしたりする。

 

『龍秘御天歌』の冒頭は日本式の葬式の場面で始まるので、結局百婆が折れたことが明かされているのだが、その続編であるこの作品では、とうとうその百婆も死んでしまった。
百婆があれほど日本式葬式を嫌がったのは火葬で体を焼いてしまうからで、体が亡くなってしまったら神となって子孫たちを見守ることができなくなる。窯の皆に恐れられ敬われていた百婆、嵐の最中に飛んできた木材に当たってぽっくりと逝き、嵐の中で火葬の薪も準備できないことから、ちゃっかり朝鮮式の葬式で送ってもらい、土葬された土饅頭の上で念願通りの神となっている。

 

さて百婆、死んで神になってもまだまだ忙しい。なんせ孫や窯の若者たちに百年佳約を整えなければならないのだから。百年佳約とは朝鮮の言葉で「結婚して一生ともに生きようという約束」のこと。

 

前作は葬式がテーマだったけれど、今作は結婚がテーマ。
渡来人は日本で朝鮮の文化を桃源郷のように守ってきたけれど、少しずつ混合が始まる。息子の嫁は同胞から貰うのか、日本人の娘を貰うのか。娘は日本の男に嫁ぐのか、同胞に嫁がせるのか。これから先いつまで、チマチョゴリをひらめかせながら高い鞦韆に興じる天女のような娘たちを見られるだろうか。

 

今では窯の主人となった百婆の長男・十蔵は、喪中のため粥しか食べられない。一年間は毎日、百婆の土饅頭を参り「哀号!」の嘆きを供えなければならない。葬式も命がけの激しさだ。空腹でふらふらしながらも窯の主は嫁・婿選びに目を光らせるのは忘れない。今までは同胞の中で婚姻を繋いできたが、自分達の子供たちはいよいよ日本人との百年佳約を決心する。神となった百婆は家の梁に腰掛けながらも日本人たちとの混血に対して「卒倒する」という脅しを使うことはできない。もう死んでしまっているのだから。

 

百婆も分かっているのだ。血は少しずつ混じり合っていくことを。子孫もみな日本の地に還り、もう朝鮮に戻ることがないことも。
日本人の入り婿を迎えることになり「よその家に嫁に行きたかった」と不満を漏らす孫娘に百婆は言う。

 

 虎が煙草を吸うていた頃から……朝鮮の女たちは姿形は柳みてえに美しく、賢さはお月さんみてえで、気性の激しさは虎のようやった。おめいだちはおれが作ったその美しい虎の子や。よそにやれば、その虎が変わる。

 

 

むかしむかし、娘は娘のまま、嫁は嫁のまま、それだけで何も差し挟まむことなくいられた幸福な時代の物語。

 

 

百年佳約

百年佳約

 


『百年佳約』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

 

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