わた☆あめ 脳内読書会

読書ブログです。ヨーロッパより帰国しました(コロナのばか~!)

元禄時代の人々は綱吉と浅野内匠頭という二人の荒人神を一方は仇討ちで慰め、もう一方は歌舞伎で呪詛していた:『忠臣蔵とは何か』

 すっかり歌舞伎という芸能が縁遠くなってしまったので、昔の人々が歌舞伎をどのように観ていたのか実感するのは難しい。
しかし今でいうテレビのような影響力があったと想像します。

この「忠臣蔵」という名称も歌舞伎・浄瑠璃の演目『仮名手本忠臣蔵』から来ているとのこと。歴史上は「赤穂事件」というそうです。

そもそもなぜ「蔵」とつくのか? 
歌舞伎は言葉遊びや故事のパロディなどが盛り込まれていて知識がないとピンとくるのは難しい。
浪士たちの討ち入り衣装である火消し装束も歌舞伎の舞台からきていて、実際は思い思いの服装で討ち入りしたそうです。

というのも、切腹した浅野内匠頭の祖父・これもまた浅野内匠頭ですが、彼は火消しの名人だったそうで、火事場の前線で勇敢に指揮をふるう「浅野内匠頭」の姿を人々は強く記憶に残していたのだそうです。
そのため当時の人々は浅野内匠頭といえば「あの火消し名人の」と思い、舞台で浪士たちに火消し装束を着せ、四十七人の浪士をいろは四十七文字になぞらえ(おみごと!)、手本は読み書きの「いろは」。

蔵は火を寄せつけない(火消し名人の大名を連想)、蔵にふられる符号(仮名を連想)、加えて蔵は古い時代は「高御座」という言葉にあるように呪術的な建物だったとか。忠臣がおさめられている蔵、といったイメージでしょうか。

そもそもなぜ浅野内匠頭がお家を投げうってまで松の廊下で刃傷に及んだのか、だれもが納得する理由を見出すことはできなかったでしょう。
そういった「理解できない荒ぶる神」を人々は御霊信仰で慰めてきました。
そのため浪士たちの討ち入りを敵を討ったことに加え、見事に荒神の魂を慰めたことに対して江戸の人々は喝采を送ったのでした。

私は知らなかったのですが、仇討ちでは『曽我兄弟』物という古典があるそうで、江戸時代の人々にはとても人気のある演目でした。
将軍綱吉の時代は「生類憐みの令」に加えて、災害が多い時代。
政治に直接参加することができない大衆にとって悪政はもはや災害と同じで、早春の祝いの狂言で「曽我兄弟」を何度も演目とし、実は曽我兄弟とそれをなぞって仇討ちをした赤穂の浪士たちの霊に綱吉の死を願っていた、というのが著者の想像です。

文化人類学的に歴史や物語と読み解くと、また別の物語を読む心地がします。

 

 

忠臣藏とは何か (講談社文芸文庫)

忠臣藏とは何か (講談社文芸文庫)

  • 作者:丸谷 才一
  • 発売日: 1988/01/27
  • メディア: 文庫
 

 

『忠臣藏とは何か』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

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