わた☆あめ 脳内読書会

読書ブログです。ヨーロッパより帰国しました(コロナのばか~!)

路上にはみだす植物愛。みんな、見て行ってー。:『たのしい路上園芸観察』

散歩をしていると思い思いに工夫を凝らした園芸成果を見かける。
ご本人はけっして奇をてらっているのではないと思うのだけど、何とも言えない「いい感じ」でほれぼれして写真をパチリ。

こんな楽しいことは散歩をしないと忘れてしまう。世話をする人が増えて、自分が住む場所のまわりばかり歩くようになって、それも散歩とも言えない、用事と用事をつなぐだけ。

けれど、この本の存在を知って、あったなぁ、こんな路上、と思い出した。
ほれぼれとする、この細々とした工夫と、愛。
広い庭を高度な知識と技術で整えるのではなく、小さな植木鉢、自分の土地と公けの土地の小さな境目でおそらくふっと思いついたその場限りの工夫。
植木鉢にプラスチックのマドラースプーンを飾りのように刺し並べてあるものには、本当にほれぼれする。

大きく枝を広げ、見事な花を垂らすキダチチョウアサガオの根元に目を落とすと、この木を育んでいるのがコンクリートの路上に置かれた小さな植木鉢であることに驚く。
すっかり緑で覆われてしまった古い家。美しくアサガオの蔓がはう。それもまた、路上の植木鉢によって育まれている。

楽しさ満載の本で何度も眺めているのですが、願わくば、もう少し大きな文字の本にして頂きたかった・・・。

 

 

 

たのしい路上園芸観察

たのしい路上園芸観察

  • 作者:村田 あやこ
  • 発売日: 2020/10/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

『たのしい路上園芸観察』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

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お前たちは道具がなければこの山を登れないのか? と平安時代のファーストクライマーは言った:『剱岳 線の記』

明治時代、日本国土の測量を推進するために、当時未踏峰だった北アルプスの剱岳に挑んだ日本陸軍の測量部・柴崎隊。彼らが山頂に辿り着くと、そこには古代の仏具が置かれていた。新田次郎の『劒岳〈点の記〉』にも出てくる有名なエピソードだ。
著者はこの仏具を置いたのは誰なのか、現代の装備でも登頂するのが難しい剱岳をどのルートを使ってどのように登ったのか、という謎を探っていく。

『ロビンソン・クルーソーを探して』もそうだったけれど、著者はひたすら文献に当たり、関係者をひとりひとり尋ねて疑問をぶつける。場所にも可能であれば何度も足を運ぶ。愚直なまでに自分と歴史の対話を続ける。

とにかく人に会い続け、関係が感じられる場所を訪れ続ける。その中のひとつ、円念寺山経塚を訪れる場面がとても印象的だ。山奥のある一か所にびっしりと石が敷き詰められている。明らかに人為的に造られた場所で規則正しい配列で五つほどの石を円形に組み、中心部の穴に経巻が入った経筒が納められていたらしい。その数、二十四基。

そこから剱岳を遥拝した古の人々がその山頂に仏具を置いたと著者は直感する。その登頂ルートは遥拝のルートに重なるだろう。

剱岳はロック・クライミングの技術が必要な登頂ルートもあるそうだ。そこまで厳しくなくても、転落防止のため鎖を這わせある箇所が最も一般的な登山ルートでもある。
著者はお経が埋められていた遺跡からの遥拝ルートを基に古の登頂ルートを探り当てる。それは現在のルートとは異なる、ある意味常識離れしたルートになった。

今のような装備もなくてどのようにあの厳しい山に登頂したのだろうと思った浅はかさが恥ずかしい。太古の時代から人類は身の回りにあるものと自分の肉体を使って生存を切り開いてきた。自分以外の誰かが作った道具に頼るという思考によってずいぶんと痩せ細ってしまった。

発見された仏具は今は富山県立立山博物館に所蔵されている。いつか見に行きたいものだ。

 

 

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山頂で発見された仏具

https://toyama-bunkaisan.jp/search/1578/ よりお借りしています)



 

剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む

剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む

 

 

『剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む【Kindle】』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

 

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本を断捨離すると「自分」が見えてくる

自分の部屋が欲しいという長男に急き立てられ、親二人は本の断捨離中。

何度か本の整理はしているけれど、今回は思い切って「読んでいない積読本」も処分した。

トルストイ『戦争と平和』(一度読んだ)、『復活』(積読)、ドストエフスキー『白痴』(挫折)、スタンダール『赤と黒』(挫折)、フローベール『感情教育』(積読)、バルザック『従妹ベット』(積読)・・・等々。三島由紀夫も『花ざかりの森・憂国』、『宴のあと』以外は処分。

いつかは読みたいと思っていた教養本の数々。さようなら・・・。

そして手元に置いておきたい本たち。飯田譲治『NIGHT HEAD』、銀色夏生『つれづれノート』(途中まで)。いわゆる名作ではないけれど、もう手に入らないような本たち。昔の集英社の短編案内本とか。

昔のコバルト文庫が出てきてびっくりした。新井素子『あたしのなかに・・・』、大和真也のパラレルワールド・シリーズ。実家から持ってきていたのかー。氷室冴子さんの『雑居時代』や『クララ白書』シリーズなどがないのが残念。

 

こうして整理してみると、自分というものが見える。

損得抜きで得体の知れない文庫本に時間を惜しげなく費やしていた贅沢な日々。

中年を越したら、もうそんな読書はできそうにない。

 

 

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元禄時代の人々は綱吉と浅野内匠頭という二人の荒人神を一方は仇討ちで慰め、もう一方は歌舞伎で呪詛していた:『忠臣蔵とは何か』

 すっかり歌舞伎という芸能が縁遠くなってしまったので、昔の人々が歌舞伎をどのように観ていたのか実感するのは難しい。
しかし今でいうテレビのような影響力があったと想像します。

この「忠臣蔵」という名称も歌舞伎・浄瑠璃の演目『仮名手本忠臣蔵』から来ているとのこと。歴史上は「赤穂事件」というそうです。

そもそもなぜ「蔵」とつくのか? 
歌舞伎は言葉遊びや故事のパロディなどが盛り込まれていて知識がないとピンとくるのは難しい。
浪士たちの討ち入り衣装である火消し装束も歌舞伎の舞台からきていて、実際は思い思いの服装で討ち入りしたそうです。

というのも、切腹した浅野内匠頭の祖父・これもまた浅野内匠頭ですが、彼は火消しの名人だったそうで、火事場の前線で勇敢に指揮をふるう「浅野内匠頭」の姿を人々は強く記憶に残していたのだそうです。
そのため当時の人々は浅野内匠頭といえば「あの火消し名人の」と思い、舞台で浪士たちに火消し装束を着せ、四十七人の浪士をいろは四十七文字になぞらえ(おみごと!)、手本は読み書きの「いろは」。

蔵は火を寄せつけない(火消し名人の大名を連想)、蔵にふられる符号(仮名を連想)、加えて蔵は古い時代は「高御座」という言葉にあるように呪術的な建物だったとか。忠臣がおさめられている蔵、といったイメージでしょうか。

そもそもなぜ浅野内匠頭がお家を投げうってまで松の廊下で刃傷に及んだのか、だれもが納得する理由を見出すことはできなかったでしょう。
そういった「理解できない荒ぶる神」を人々は御霊信仰で慰めてきました。
そのため浪士たちの討ち入りを敵を討ったことに加え、見事に荒神の魂を慰めたことに対して江戸の人々は喝采を送ったのでした。

私は知らなかったのですが、仇討ちでは『曽我兄弟』物という古典があるそうで、江戸時代の人々にはとても人気のある演目でした。
将軍綱吉の時代は「生類憐みの令」に加えて、災害が多い時代。
政治に直接参加することができない大衆にとって悪政はもはや災害と同じで、早春の祝いの狂言で「曽我兄弟」を何度も演目とし、実は曽我兄弟とそれをなぞって仇討ちをした赤穂の浪士たちの霊に綱吉の死を願っていた、というのが著者の想像です。

文化人類学的に歴史や物語と読み解くと、また別の物語を読む心地がします。

 

 

忠臣藏とは何か (講談社文芸文庫)

忠臣藏とは何か (講談社文芸文庫)

  • 作者:丸谷 才一
  • 発売日: 1988/01/27
  • メディア: 文庫
 

 

『忠臣藏とは何か』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

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人事制度を変える前に読んで欲しい:『日本社会のしくみ』

私が勤めていた会社は大手と言われる電気機器メーカーで、職場は現場寄りの部署だった。もう実際の製造は行っていなかったけれど、部門の人たちは製造の現場で物を作ってきた人ばかり。

だからこの本に出てくる日本の労働者の姿がとてもリアルに想像できる。物を製造していた会社が時代に合わせて変容していくさま、そうした中で現場労働者だった彼らの立場がどのようなものになっていったか。大学出の若い技術者に軽くあしらわれたり、パソコンの操作に四苦八苦したり。扶養給は廃止され、自らの生産性と賃金を常に厳しく天秤にかけられる。戦争時代の厚生年金の加入状況を問い合わせてきた人もいた。大企業に入れば定年まで安泰なんて言われたけれど、本当にそんなのどかな会社生活を送れた人はごくわずかで、例えば30年を価値観の大きな変化を被らずに過ごすことは、いつの時代もなかなかない難しいことなのではないだろうか。

 

日本に超えられない階級はないと言うけれど、学歴という一見、自分の努力で上昇することができるヒエラルキーがある。学歴偏重社会はどこか浅はかで幼稚なイメージがあるけれど、実は明治維新の当時から始まった根深いもの。現在の状況だけを憂いてもどうにも変えられないものなのだと感じた。

急遽始まった明治政府、行政の事務をこなすために高等教育者が必要で、帝大生は無試験で採用された。士族が没落した代わりに学歴が身分を分けるものとなり、その身分制度は政府、その後は民間に払い下げられた官製重工業、軍隊、戦後の大企業(官製重工業と地続き)と受け継がれていく。

日本の大企業が入社する新人に求めるものは、オールマイティーにこなせる適応能力であり、それを判断するものが出身校となった。学んだ内容は重視されず、その学校の入試を突破出来たいう潜在能力を重視した。

戦後の民主化と労働運動が組み合わさって、日本企業は終身雇用、年功賃金を導入していくが、この制度が長くは持たないことを1970年代には企業はわかっていた。一度、政府の有識者会議のような場で現在でいうところの「成果主義」への転換が提言されたが、賃金削減がその目的と疑った日本の働き手はそれを受け入れられず、慣行を変える機会を逃してしまう。

 

欧米の社会は転職が一般的とは言うけれど、それは職務で仕事に採用されるからで、職務を貫く横のつながりが企業を超えて存在している。日本の場合、採用時には従事する職務は明確にされずに、配属先で経験を積みながら仕事を身に着けていく。職務が重視されないので企業を横断した労働市場もなく、企業内での経験はそこでしか通用しない。

欧米は簡単に解雇されるというけれど、日本は明文化された技能や資格を、企業とは離れたところで、自分の展望や計画をもって作っていくことができないかった。それはどうだろう、やっぱりちょっとしんどい世界のような気がする。レイオフの心配にさらされたことがないからだろうか。

 

私が勤めていた会社でもしきりと成果主義やら年俸制やら、西欧の機動力のある人事慣習を取り入れようとしていたけれど、そもそも西欧の成果主義は就くためには高度な学位が必要で(博士号など)、就いたら熾烈な競争にさらされ、その結果、高額な給与を手に入れる上層職員に適応されていた制度で、その下に位置する下層職員はーー採用時に契約を交わした範囲での仕事をし(それから外れたことをさせると訴訟もの)、長時間労働はしなくて済むが給与はあるところで頭打ちとなるーー成果主義など求められない。日本のサラリーマンはあり方としてはこの下層職員に近いのだから、成果主義はなじまないもの。

 

日本社会がなぜこのような姿になっているのか知りたくて色々な本を読んで来たけれど、日本人の気質がこうした社会を作った、と考えても、あまり建設的な世界には辿り着かない気がする。これからは、日本という見方を離れて、純粋に制度や現象を勉強していくのが建設的だと思った。

 

 

 

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最後の秘境は個人の物語の中に:『ロビンソン・クルーソーを探して』

著者は「物語を旅する」探検家。ほかに浦島太郎や、平安時代に剱岳に登った人物についての本を書かれている。どれも面白そうだ。

 

無人島サバイバルの元祖・ロビンソン・クルーソーには実在のモデルがいたらしい。その人、アレクサンダー・セルカークは18世紀のスコットランド人。ロビンソン・クルーソーは有名だが、セルカーク自身は忘れられた存在で多くの資料は散逸している。
著者は故郷のスコットランドの片田舎からチリのロビンソン・クルーソー島までセルカークの軌跡を辿る旅をするのだが、すでに忘れらた人物なので、あると思った資料がなかったり聞きたいことが聞けずに無駄骨を折ったり。著者が満足した答えを得てるまで10年の年月がかかった。
答えとは、セルカークが暮らした場所をロビンソン・クルーソー島で特定することだ。

 

ロビンソン・クルーソー島はもともとはマサティエラ島といって当時は行き交う船が水の補給に立ち寄る島のひとつだったらしい。ロビンソン・クルーソーの物語で一躍注目を集め島の名前まで改名している。
そんな島だからさそかしロビンソン・クルーソーのゆかりの地が保存されていると思いきや、そんなことはないらしい。チリの政府が「ロビンソンが暮らした洞窟」と銘打つ場所はあるのだが、セルカークの話とは特徴が一致しないらしい。

 

セルカークはスコットランドの皮なめし職人の子として生まれたが、単調な生活がまったく肌に合わなかったようで、教会と揉め事を起こして出奔。当時、冒険といえば海だ。セルカークも海を荒らしまわっていた私掠船に乗り込む。
そのセルカークがなぜチリの無人島で暮らすことになったかというと、なんと船長と喧嘩をして島に置いて行かれたらしい。出航直前に彼は涙ながらに船長に謝るのだが聞き入れられず、船に乗せてもらえなかった。半ば死刑宣告のようなものだ。

 

セルカークは約4年、マサティエラ島で自給自足の生活を送った後、通りかかったイギリス私掠船に奇跡的に助けられイギリスに帰国する。イギリスに戻ってからの記録は飛び飛びだが、故郷の町では洞窟に暮らしたりとかなりの変人ぶりを発揮。そうしてまた船に乗り込み、海上で流行病にかかり命を落とす。

 

著者はセルカークの居住地を特定するため1ヶ月間ロビンソン・クルーソー島の森の中で暮らす。その時はこれといった成果は得られなかったのだが、自然の中で暮らす著者の視点が瑞々しく読むのが楽しい。
バッタを餌にアジを釣り上げ、アジの必死の抵抗に心を打たれること。ハチドリと共に雨宿りをした時のこと。生き物への敬意、それを著者は誰かに伝えたいと思う。

 

しかし、ここには誰もいないのだ。

 

森は静かで、生まれた時からそうであったように悠然としていた。


セルカークの故郷・スコットランドではスコットランド国立博物館の学芸員と友情を結び、彼がふと漏らした「スコットランド人が家を建てるとしたら、やっぱり石ですよ」という一言が、島を去ってから10年後、とうとうセルカークの家を探し出す大きな手掛かりとなる。
牛が迷い込んだ森の奥にその石垣はひっそりと残っていた。


個人的な物語こそが最後の秘境であることを実感する一冊。

 

 

 

 

『ロビンソン・クルーソーを探して』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

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チマチョゴリを着た虎は片膝を立てて美しく座る:『百年佳約』

主人公の百婆は渡来人。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮から連れてこられた陶工たちの一人で、大きな窯元の女主人だ。

 

前作の『龍秘御天歌』では龍窯の主人・十兵衛の葬式を巡って、朝鮮式の葬式で送り出したい妻の百婆と日本社会での足場をさらに固めるため日本式の葬式を出したい息子の十蔵の駆け引きが描かれた。
朝鮮の家庭では子供にとって親は絶対の存在なので母親の意向に背くことなど本来は許されないのだが、窯を継いだ十蔵はこれからの将来のことを考えなければならず、虎のように恐ろしい母親に一歩も引くことはない。なんせ朝鮮の父と母は「憤死」「卒倒」という「脅しの手」があり、ここぞという時に額に青筋を立て息子を震え上がらせたり、宴席の準備の最中で差配の中心である女主人が卒倒のそぶりを見せて娘や使用人を自分の思うように動かしたりする。

 

『龍秘御天歌』の冒頭は日本式の葬式の場面で始まるので、結局百婆が折れたことが明かされているのだが、その続編であるこの作品では、とうとうその百婆も死んでしまった。
百婆があれほど日本式葬式を嫌がったのは火葬で体を焼いてしまうからで、体が亡くなってしまったら神となって子孫たちを見守ることができなくなる。窯の皆に恐れられ敬われていた百婆、嵐の最中に飛んできた木材に当たってぽっくりと逝き、嵐の中で火葬の薪も準備できないことから、ちゃっかり朝鮮式の葬式で送ってもらい、土葬された土饅頭の上で念願通りの神となっている。

 

さて百婆、死んで神になってもまだまだ忙しい。なんせ孫や窯の若者たちに百年佳約を整えなければならないのだから。百年佳約とは朝鮮の言葉で「結婚して一生ともに生きようという約束」のこと。

 

前作は葬式がテーマだったけれど、今作は結婚がテーマ。
渡来人は日本で朝鮮の文化を桃源郷のように守ってきたけれど、少しずつ混合が始まる。息子の嫁は同胞から貰うのか、日本人の娘を貰うのか。娘は日本の男に嫁ぐのか、同胞に嫁がせるのか。これから先いつまで、チマチョゴリをひらめかせながら高い鞦韆に興じる天女のような娘たちを見られるだろうか。

 

今では窯の主人となった百婆の長男・十蔵は、喪中のため粥しか食べられない。一年間は毎日、百婆の土饅頭を参り「哀号!」の嘆きを供えなければならない。葬式も命がけの激しさだ。空腹でふらふらしながらも窯の主は嫁・婿選びに目を光らせるのは忘れない。今までは同胞の中で婚姻を繋いできたが、自分達の子供たちはいよいよ日本人との百年佳約を決心する。神となった百婆は家の梁に腰掛けながらも日本人たちとの混血に対して「卒倒する」という脅しを使うことはできない。もう死んでしまっているのだから。

 

百婆も分かっているのだ。血は少しずつ混じり合っていくことを。子孫もみな日本の地に還り、もう朝鮮に戻ることがないことも。
日本人の入り婿を迎えることになり「よその家に嫁に行きたかった」と不満を漏らす孫娘に百婆は言う。

 

 虎が煙草を吸うていた頃から……朝鮮の女たちは姿形は柳みてえに美しく、賢さはお月さんみてえで、気性の激しさは虎のようやった。おめいだちはおれが作ったその美しい虎の子や。よそにやれば、その虎が変わる。

 

 

むかしむかし、娘は娘のまま、嫁は嫁のまま、それだけで何も差し挟まむことなくいられた幸福な時代の物語。

 

 

百年佳約

百年佳約

 


『百年佳約』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

 

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