わた☆あめ 脳内読書会

読書ブログです。ヨーロッパより帰国しました(コロナのばか~!)

「おろんくち」、「がらんど」、「まだ息がある」---。 認知症の老婆が夕方になると口にする言葉。その言葉を辿っていくと、一本の恐ろしい木に辿り着いた:『フォークロアの鍵』

旅は紙の上に書いた計画通りには行かない。いくら綿密に計画しても当日の体調や気候によって計画は結構変わってしまう。
人の記憶も紙に書かれたような「順序立って分かりやすいもの」にはならない。話し手が「あれ、おかしいなぁ」と口にしながら話す記憶の方が、その「おかしいなぁ」という感覚を含めて「記憶していることだ」と感じる。

 

この物語は認知症を患っている老人たちが暮らすホームが舞台。口頭伝承を研究する民俗学者の卵・千夏は自身の研究のためにホームでの聞き取りを始めた。ある夕暮れ、「くノ一」とあだ名される美しい老女・ルリ子が口にした「むかし、むかし、あるところに」という呟きを偶然、耳にする。
彼女は意思の疎通が難しい段階の認知症を患っていて、なぜか夕方になると決まってホームを脱走しようとするのだ。だから「くノ一」。
このホームには、毎日20円を郵便局に預ける「郵便屋」や大陸からの電波に攻撃されていると思い込んでいる「電波塔」などなど、かなり個性的な老人たちが暮らしている。
個性的と言ったけれど、そもそも人はこんな風に個性的なのではないだろうか。社会的な振る舞いが身に着く前の幼児はかなり独創的な存在だ。

 

92歳になるルリ子は身寄りもなく、もはや他人とのやりとりは出来ないのだけど、夕方にはホームを脱走するために警報器のスイッチを切るという「正気さ」が一瞬戻る。
「・・・・あるところに、ちっちゃい、糸切り」
「お、おろんくち」

 

脱走を失敗するルリ子が口にする言葉に何か尋常でないものを感じる千夏。
目の前で何かを抜き差しする仕草が蚕の選別だと老人たちから教えられた彼女は「おろんくち」を求めて山梨を訪れる。ネットの掲示板で知り合った少年が「むかし、山梨の祖父母のところでそんな言葉が出てくる昔話を聞いた」と言ったからだ。

 

「がらんどを見たのか」「がらんどはまだ息がある」
一瞬戻る本来のルリ子が必死に訴えるものは。彼女が夕方になるとホームを抜け出そうとする理由とは---。

 

著者の民俗学的な話はもう「おどろおどろしく」て、出たよ!この感じ!と一晩で読みました。
昔話の語りの向こう側には、実は現在進行形の凶行が潜んでいて・・・ルリ子が何度を脱走を試みるその意図が明らかになると、その分け隔てのない必死さに胸が打たれる。

 

ルリ子は「がらんど」に何を見たのか。「がらんど」の中にいたものは、本当に「まだ息があった」のか、それを見たルリ子は、その後どうしたのだろうかーー。

そうした「事実」はすべてルリ子の「痴呆のためにもはや語ることができない」記憶の中にある。しかし「語ることができない」のは果たして痴呆のためだけによるものなのだろうか。人の記憶とは「その人が知るままには語れない」ものなのではないだろうか。予定通りにはいかない旅のように。

 

 あまり話題にならないけれど、川瀬さんは優れた物語作家だ。

 

フォークロアの鍵 (講談社文庫)

フォークロアの鍵 (講談社文庫)

  • 作者:川瀬 七緒
  • 発売日: 2019/10/16
  • メディア: 文庫
 

 

『フォークロアの鍵』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】

 

 

 

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