やっぱり福沢諭吉は偉かった:『国家を考えてみよう』
よく理解できないことがあって迷っている時、つい橋本治さんの本を手に取ってしまいます。(もう新作が読めないとは本当に残念です)
読むと「すっきり」することはなく、橋本さん特有の語り口であっちへやられこっちへやられ、読み終わった時には「どういうこと?」と思うのですが、「すっきりすることは危険だよ」ということなのかもしれません。
橋本さんの『双調平家物語』は中断をはさみながら何年も読んでいますが、平家物語なのに中国の王朝から物語が始まるのには驚きました。でも読んでいくと日本の王朝がどういった性質のものなのか中国との対比で浮き彫りになり理解が深まるように感じます。
この本も「『考える』ってあるけど、きっとよく分からないものだぞ」と思いながら読み始めました。
国家とは「国に家がついたもの」と橋本さんは指摘します。
日本はイエ社会とは言いますが、国も「イエ」として考えているわけです。なるほど、そう指摘されるまで気が付きませんでした。それほどまでに「家」は当然のものとなっているわけですね。
橋本さんは「国家を考えると色々とめんどうなことになる」と言います。
国家はイエなので家長がいるはずです。日本の家長とはだれでしょう。家長は家の所有者です。橋本さんがやっかいだというのはこの国家が家長のものになる、ということです(たぶん)。
そして同じように感じて国家という言葉を使わなかったのが福沢諭吉だと言うのです。
福沢諭吉は一万円のお札の顔になっているけれど、勉強して立身出世してお金持ちになりなさいというようなことを言っているわけではなく、
「『海外列強に日本は軽くみられているのではないか』と心配するより、まずは勉強しなさい」
「みなが勉強して賢くなれば政府は政治もしやすくなるし、人民も政府の支配に苦しむことはない」
ということを言っている。
そして何よりも福沢諭吉が告げたかったのは、まだ議会もなく人々が選任した政府があるわけでもない時代では<人民は必ずこの方を守るべしと、固く約束したるものなり>とある約束も必ずしも守る必要はないのだ、<人民と政府との間柄は、もと同一体にてその職を区分し、政府は人民の名代なりて>が実現されていなければ、と「暗に」政府に脅しをかけている。
やっぱり福沢諭吉は偉い人だ。
一万円の顔にならない方がよかったんじゃないかな。
『国家を考えてみよう』の感想、レビュー(あられさんの書評)【本が好き!】